2大バイオマス産業都市ツアーレポート【東松島編】

2015年9月28日~29日でバイオマス産業都市めぐりに行って参りました。

初日は宮城県東松島市へ。

ツアーの運営会社である(有)リボーン壱岐健一郎さんはここ東松島市の認定旅行会社でもありこれまでも多数の方々をガイドされてきました。

冒頭、全体像を説明。

昼食までの少しの時間を地元のアンテナショップへ。

17人がゾロゾロ入るとさすがにギュウギュウですね。

皇室献上のりで有名なここで、世にも珍しい?のりうどんを食べます。

出てくる間にそれぞれ自己紹介。みなさん、今回参加の想いをしっかり話してくださいました。


のりうどん
のりうどん

味もコシも非常においしゅーございました♪

その後東松島庁舎へ行き、同市産業部農林水産課農林水産振興班 班長佐藤伸寿さんにご説明いただきました。

 

3.11東日本大震災で甚大な被害に見舞われ、多くの犠牲者をだし、また、市の7割以上が津波や地震で全壊・半壊になってしまった。

佐藤さんはじめ、市の職員はそれこそ獅子奮迅の働きで難局に当たっていて我々の想像を絶する激務だったことが改めて身に染みました。

直後の瓦礫だらけの土地に誰しも茫然自失になってしまいますが、そこでも行政、市民が立ち上がりこの瓦礫を自分たちも自ら手伝い、処理してなんと97.6%のリサイクル率を達成させました。

本当に凄いことですね。

そんな中、復興に向けて国や県から提案や補助金の話が舞い込みますが、東松島市は頼るところは当然頼り、しかし、地方分権、地域分権。

自分たちでできること、地域でできることは極力自前主義でやっていこうという復興の道を選択しました。

大手の会社が来てメガソーラー建設や東京から復興予算目当てのコンサルタントが来ても頼りません。

パートナー選びの基準はただ一つ、これからもずっと東松島市とともに生きてくれるかどうかでした。そこがズレる所とは組みません。

プロポーザル形式で何かを始める場合もそこが最大の採用ポイントとしました。

やはりここでも里山資本主義、地域のヒトモノカネは地域で循環させる理念が徹底されていました。

そして、持続可能な地域経営の実現に向けて全体像の説明ではあの災害を受けたからこそわかる有事の際のエネルギーや自助共助重要性。

それらを踏まえた東松島市独自の内容でした。

今回のメインであるバイオマスを中心とした再生可能江ルギー施設はソーラーシティ・ジャパンの代表上岡がこれまたソーラーシティ・ジャパンのスペシャルアドヴァイザー・ニールセン北村朋子さんに繋ぎ北村さんがデンマークのロラン島スペシャルチームをここにお連れし、更には2012年7月9日に同市と復興における連携協定を締結することになったのです。

そこから上図の案が生まれました。

本来ではすでに完成していてもおかしくないのですが、どこにでもある復興遅れのため今も着工はできておらず、残念ながらこの実物自体は見ることが出来ませんでした。

しかし、ようやく着工が始まり、来年の秋には完成しているという事なのでそれはそれで本場デンマーク仕込みのプランがどういうものか楽しみですね。。。ここがその現場です。 

無い物ねだりをしていても仕方が有りません。どこまでも前向きな同市はできるところから着実に手を打っていきます。

案内されたのは小高い里山。


目の前に現れたのは“サウンド・シェルター”これは同じく復興協定を結んだC・Wニコルさんが提案し、早稲田大学の学生によってつくられていました。

サウンド・シェルターとはニコルさんが名付けたトナカイ猟の際に群れの音を正確にキャッチするための待機場だそうで、この中にいると3,4km離れたところの物音が良く聞こえるそうです。もちろん、休憩所にもなる。

また、写真中央にある石積は焚き火用。因みにこの石は有名な野蒜石。

更に進んでいくと今度は宮崎駿の世界。

これもニコルさん達が提案した“森の学校”の一部、ツリーハウス。その名も“ツリードラゴン”。まさに未来に向かって竜のように登れ!という想いが込められています。

つくったのはツリーハウスの第1人者小林崇さん。

詳細はこちら

下から見上げるとこんな感じ。

建築的にも非常にユニークで楽しい雰囲気が伝わってきます。

津波で流されてしまった学校が今度はこっちの高台で建築され、児童たちは今歩いている道路や今歩いてきた山が通学路になります。

こんな素敵な通学路では道草ばかりで中々家に帰れないかもしれませんね^^

そうして、先の再生可能エネルギーセンター建築地のある奥松島大高の森で松島を一望。天気も良く絶景でした。

大勢が大挙したので1組のカップルには雰囲気をぶち壊してしまいましたね。ごめんなさい。

お楽しみお食事宿泊は漁民民宿『桜荘』。

奇跡的に津波被害から免れたこの地で、一度は家を捨てて仙台の息子夫婦の元へ行こうと決心しましたが、復興支援に来る人たちの宿泊先が無く、ここで出てしまえば、皆が困るとして留まり、早朝から出かける人の朝食をつくり、夜は疲れ果てた人たちの食事やお酒の用意をずっとやってきたそうです。

それでも明るく我々にサービスを提供してくれました。本当に感謝の気持ちで一杯ですね。

 

見てくださいこのボリューム!お盆に乗り切りません^^ビール好きのこのわたしでもジョッキ2杯でやめないと食べられなくなってしまうほどです。

東松島へおいでの際は桜荘へ

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そうして、後ろ髪引かれる思いで一行は一路新潟へ。

新潟編につづく。。。

 

 

(文・写真 吉田登志幸)

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